海と握りに生きる — ゆかいさんの情熱

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著者:編集部

 

物心ついたころから魚が好きだった。釣り人の父の背中を追い、幼い手で初めて釣り糸を垂らした日、海の香りと魚のきらめきが心に刻まれた。小学校時代から大学時代まで続けた柔道では、県大会上位やインターハイ出場も経験。だが、心の奥底にあった夢はずっと「海」にあった。ゆかいさんは今年で24歳になった。

 

 


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「漁師になりたい」。子どもの頃からの夢を胸に、大学1年生のとき現実を見つめ直す。「漁師じゃ生活できないかもしれない」。それでも諦めきれず、大学卒業後、神奈川県大磯町の海へ。半年間、定置網漁でアジやサバ、イワシを選別し、小田原の市場へ出荷する日々を過ごした。魚を扱う喜びに心が震えた。

 

 


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「寿司職人になる前に、魚をちゃんと触って見たかったんです」。そう語るゆかいさん。漁師の経験を経て、魚の命を活かす次の舞台へと歩み出す。麻布十番の高級寿司店で半年間修行。客単価8万円、選ばれた人々が集う空間。そこには“ネタ”だけでなく、“人”が集まっていた。「お客さんは、大将に会いに来ている」。その言葉が胸に残る。

今、彼が目指しているのは「出張寿司」という新たな挑戦だ。高級寿司の世界で培った技と心を、場所を問わず届けたい。

 

 

海を愛し、魚を知り、握りに魂を込める男——ゆかいさんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

公民の授業から国連職員に――地球規模の課題に挑む上村教授

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著者:編集部

取材を受けた人:上村雄彦教授(横浜市立大学教授)

 

国連職員を志す、中学の教室から

上村先生が「国連職員を目指したい」と思ったのは、中学時代のことだった。公民の授業を担当していた先生の影響を受け、国連職員になる道を志すようになったのだ。しかし一時期、その夢を忘れていた時期もあったという。高校生のとき、友人から「将来の夢は?」と聞かれ、思わず口にしたのは「国連職員になる」という言葉。その瞬間に、自分の中で眠っていた思いが再び形を取り戻した。

 

三重大学人文学部に進学すると、ESSの顧問の先生から国連職員を目指すことを勧められ、その道を本格的に歩み始めた。大阪大学大学院修士課程へ進学し、さらにカナダのカールトン大学大学院国際関係研究科修士課程に。学びを重ね、千葉大学で学術博士を取得するまで、その歩みは止まらなかった。

 

国際舞台から大学教壇へ、豊富な実務経験を紡ぐ軌跡

実務経験も豊富だ。カナダ国際教育局で日加関係を担当し、国連食糧農業機関では住民参加や環境問題に取り組んだ。その後、奈良大学教養部専任講師、CSR経営研究所主任研究員、千葉大学准教授を経て、2009年からは横浜市立大学教授として教壇に立ち続けている。

 

地球規模の問題解決に挑む

研究テーマは「地球規模の問題をどう解決し、持続可能な福祉社会を築くか」。

 

現在は、グローバル・タックスに加えて、グローバル・ベーシック・インカムと世界政府の研究に取り組むのみならず、科学の限界を踏まえ、科学と超科学を統合して真理を探求する「ネオ・アカデミア」の創設を目指している。

 

 

災害時には自衛隊の救助が必要、SEから政治家に

著者:編集部

取材を受けた人:千田まさひろさん(江東区議会議員)

 


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災害時には自衛隊の救助が必要

岡山県出身で江東区議会議員の千田まさひろさんは本籍地を尖閣諸島に置き日本の国防や安全保障に関しての意思の高い人物だ。阪神淡路大震災の際には自衛隊の出動が出来ず被災者の救助が遅れた過去がある。消防署の職員も救助に向かうががれきの中に閉じ込められている人の救出や水や食料品の援助には限界がある。千田さんは住民との距離が近い「区レベル」での災害時の自衛隊の救助を可能にする仕組みづくりに取り組んでいる。例えば、千田さんは日本各地にある自衛隊基地を訪問し自衛官との繋がりを作り災害などで区民が救助が必要な際には直ぐに自衛隊に相談ができるように取り組んでいるという。

 

 


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システムエンジニアから議員に

千田さんは江東区議会議員になる前はシステムエンジニアとして働いていた。千田さんは1980年、岡山県に生まれた。高校生まで岡山県で過ごしていた。高校卒業後、山梨県に引っ越し都留文科大学文学部社会学科に進学した。大学では地方政治について学んでいたという。大学卒業後、IT企業に就職しシステムエンジニアとして勤務していた。著名人の講演会を実施する千田会を2015年に立ち上げ現在もその活動は続いている。現在は江東区議会議員として活躍している。

 

 

 

 

 

 

国際政治学者のグレンコ・アンドリーさんの生い立ちとウクライナ情勢

著者:編集部

取材を受けた人:グレンコ・アンドリーさん(国際政治学者)


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今回はウクライナの首都キーウ出身の国際政治学者のグレンコ・アンドリーさんにインタビューしました。

 

世界の関心がウクライナ侵攻を防げたかもしれない

2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が行われ現在に至るまで続いている。この侵攻は戦後(第二次世界大戦)最大の戦争と言っても過言ではない。もしかしたら、世界が2014年のクリミア侵攻のときからロシアを抑止していれば現在のウクライナ侵攻は防げたのかもしれない。世界が関心を向けることは無意味ではなく、独裁者の意思決定に大きな影響を与えるのである。

 

文学研究者から国際政治学者へf:id:Jipangu_Times:20241227101239j:image

グレンコさんは大学では日本語を学び大学院では本居宣長の研究をする文学研究者だった。しかし、あることがきっかけで国際政治学者となった。グレンコさんはウクライナのキーウに生まれた。その後、日本に興味を持ちキーウ大学日本語学科に進学し日本語の勉強をした。大学時代には早稲田大学に語学留学をしたこともあるという。そして、大学卒業後に京都大学人間・環境研究科に進学し本居宣長の研究をしていた。しかし、故郷のウクライナの事態が急変した出来事があった。2014年3月16日に悲劇が起こった。ロシア軍が突如ウクライナクリミア半島に侵攻し住民投票を行い翌日の17日に開票しクリミア半島をロシアの領土と宣言したのである。グレンコさんは当時、本居宣長の研究をしていたがウクライナ情勢に関心が抱きウクライナ情勢の研究をし日本再興財団が主催する「真の近現代史観」懸賞論文に論文を投稿したのだ。その時の論文が「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと ―真の平和を築くために何が重要なのか―」である。この論文は学生部門優秀賞を受賞し国内外の研究者から注目を集めグレンコさんが有名になったきっかけでもある。

 

日本に興味を持ったきっかけ

グレンコさんが日本に興味を持ったきっかけは子供の頃に世界の歴史の本をたくさん読んでいた中で日本の歴史についての子供向け本に出会い子供の頃から日本への興味を持つようになった。そして、インターネットが誕生しインターネットでも日本について調べるようになり日本への興味関心が年々膨らみ独学で日本語を勉強し始めた。そして、キーフ大学で日本語専攻に進学し日本語の勉強をした。

 

大学在籍中、早稲田大学に留学

グレンコさんは大学生のときに早稲田大学に語学留学を1年間した。この留学のときにたくさんの日本人に出会い日本語を話して生活をしていたことが流暢な日本語で話すスキルを習得したという。

 

2回目の留学、京都大学

ウクライナに帰国してキーウ大学を卒業したグレンコさんはもう一回、日本に留学することを決意する。京都大学大学院人間・環境研究科に最初は研究生として研究し、修士課程、博士課程と進学し研究を進めた。日本の神道に興味を持っていたグレンコさんは最初は政治研究ではなく、神道を研究するため本居宣長の文学研究を始めた。

 

留学中、母国はロシアに侵略され

日本に留学中ある出来事が起こった。2014年、ロシアによるクリミア半島への侵攻が始まったのだ。ロシアはクリミア半島に侵略し住民投票を行い、クリミア半島を占領した。

 

グレンコさんは当時、本居宣長の研究をしていたがウクライナ情勢に関心が抱きウクライナ情勢の研究をし日本再興財団が主催する「真の近現代史観」懸賞論文に論文を投稿したのだ。その時の論文が「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと ―真の平和を築くために何が重要なのか―」である。この論文は学生部門優秀賞を受賞し国内外の研究者から注目を集めグレンコさんが有名になったきっかけでもある。

 

2014年、クリミア侵攻(侵略)を世界は関心を寄せなかった。
2014年3月16日にロシア軍がウクライナの領土であるクリミア半島に侵攻(侵略)し住民投票を行い翌日に開票され96.6%の得票数を得てクリミア半島がロシアの領土になった出来事があった。

 

このときの事をグレンコさんはこう振り返っている。「侵略を許してはいけない。侵略を許してしまうと、更に独裁者は侵略を行う。」と語っている。そして、クリミア半島がロシア領土になることへの住民の理解が得られているという意見もあるが、グレンコさんは次のように語っている。「クリミア侵攻の住民投票の結果はロシアによって最初から決められていたものである。」

 

世界の目が背けている内にチェチェン紛争ジョージア侵攻、そしてウクライナ戦争へと拡大する侵略行為、ロシアによるチェチェン紛争ジョージア侵攻が続く中、世界はロシアの侵略行為対する関心は薄かった。その結果、ロシアは侵略を続けて現在のウクライナ戦争に至っている。チェチェン紛争ジョージア侵攻のときから世界がロシアの侵攻に対して目を向けていれば今のウクライナ戦争はなかったかもしれない。

 

2014年に既にドネツク州では戦争が始まっていた!?

2014年の衝撃的な出来事の一つとしてマレーシア航空機撃墜事件がある。オランダのアムステルダムからマレーシアのクアラルンプール行きのマレーシア航空機がウクライナドネツク州の上空を飛行中に撃墜される事件が発生した。

 

ウクライナ東部でロシア語話者がたくさん住んでいる。その中でロシア寄りの人間も一定数いる。2014年4月には、ロシアからやってきた非正規武装集団と、ロシアに協力的な現地住民が屈託して、ウクライナ政府に対して戦争を起こした。戦争の初期は、ロシアからの支援は小銃などであったが、7月になるとミサイルや戦車などほぼ正規軍並みの軍事力を持つようになっていった。

 

8月にはロシアの正規軍が介入しウクライナ軍との戦いが始まった。そして、ドネツク州やルハンスク州などのロシア系住民の多く住む地域はロシア軍によって占領されてしまった。

 

ロシア系住民が迫害されている!?

ロシア系メディアを見ているとドネツク州やルハンスク州などのロシア系住民が多く住む地域ではロシア系住民がウクライナ軍によって迫害されているという情報を発信している。しかし、グレンコさんによると「何もしていない、普通の生活を送っているロシア系住民をウクライナ軍は拘束したりしない。しかし、武装したり危険な行動をする者を逮捕したりしている。」と語っている。

 

現在は、国際政治学者として政治評論をしている

グレンコさんはウクライナのキーウで生まれて子供の頃から世界史や日本に興味を持ち大学で日本語を学び、大学院では文学を研究し現在は国際政治学者として活動している。

 

グレンコさんのTwitter

https://x.com/Gurenko_Andrii?t=RcqDBcjJI9V9QP001FcHuA&s=09

 

グレンコさんはたくさんの著書も書かれています。

 


 

 

 

 

 

 

 

心理学的に冤罪事件を研究。元裁判官の西愛礼さんにインタビュー

著者:編集部

取材を受けた人:西愛礼さん(元裁判官で弁護士)

 

 

西愛礼さんのプロフィール

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1991年、鹿児島県生まれ、2歳まで山口県で過ごし、その後は神奈川県で育った。弁護士/元裁判官。イノセンス・プロジェクト・ジャパン所属。一橋大学法学部卒業。その後、裁判官として有罪率が99.8%の日本の刑事裁判で3年間で6人に無罪判決を出した。裁判官を退官後はプレサンス元社長冤罪事件などの冤罪事件の弁護人を担当。好きな食べ物は「ラーメン」と「とんかつ」、ワイン。ワインエキスパート、保育士免許の保有。趣味は映画鑑賞、ネコと遊ぶこと、双子の子供達と遊ぶこと、ストリートフォトグラフィー、ボランティア、英語の勉強。著書『冤罪学』。

 

 

人質司法、無実の人を長期勾留

人質司法という言葉をテレビやラジオで耳にすることはあるがどのような事を人質司法というのか。今回インタビューに協力していただいた元裁判官で弁護士の西愛礼さんは人質司法についてこのように語っている。

 

人質司法とは、刑事裁判で無実を主張する場合ほど長期間身体拘束をされる日本の刑事司法実務の運用のことをいいます。

引用元:NEWS PICKS

https://newspicks.com/topics/criminaljustice/posts/37?fromNews=true

 

そして、無実を訴える人ほど長期勾留されている現実があるという。

 

例えば、最近ではKADOKAWA前会長の角川歴彦さんや日産元会長のカルロス・ゴーンさんなどが無実の罪を疑われ逮捕、勾留されて無実を訴えると勾留が長引いてしまうというのが現実だそうです。

 

理不尽な長期勾留

この人質司法の原因となっているのが刑事訴訟法である。

 

刑事訴訟法

第六十条

一 裁判所は、被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、左の各号の一にあたるときは、これを勾留することができる。

 二 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

 三 被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

引用元:e-GOV 法令検索

https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000131#Mp-Pa_1-Ch_8-At_60

 

刑事訴訟法は昭和23年(1948年)に公布され、昭和24年(1949年)1月に施行された今から76年前の法律である。この法律によって警察や検察が被疑者、被告人を勾留に証拠隠滅や逃亡を防いできた歴史がある一方で、無実の人間が長期勾留をされている歴史があるのも事実である。

 

当時の有力な証拠、それは自白

戦後、今から76年前の科学技術は今とは比べ物にならないレベルである。警察には科学警察研究所科学捜査研究所がありDNA鑑定をはじめとする科学技術を用いた捜査が行われているが、当時の警察の科学捜査は現在の科学捜査とは程遠いものである。

 

そう言った時代背景もあって客観証拠の収集が困難であったため、警察や検察が捜査する中で自白を重要視していた歴史がある。その時代の流れもあって現在の警察や検察も自白を重要視しているのが現実である。

 

自白と長期勾留の関係

「無実を訴える人」は結果的に勾留が長期化してしまうのが現状になっている。

 

日本国憲法

第三十八条

何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

引用元:e-GOV 法令検索

https://laws.e-gov.go.jp/law/321CONSTITUTION

 

憲法でも保障されている黙秘権であるが「無実の主張」や「黙秘」をすると勾留が長期化してしまう現実がある。

 

 

 

「刑事裁判を通して人間とは何か考えたい」と思うようになったという。その理由は意外だった

1991年、西さんは会社員の父親と看護師の母親との間に鹿児島県で生まれた。その後、2歳まで山口県で過ごし、学生時代の大半は神奈川県で過ごした。西さんは高校生の頃に「刑事裁判を通して人間とは何か考えたい」と思うようになったという。その理由は、中学時代の知人が刑事事件に関与したという出来事があったのだ。

その後は大学へと進学し法律を学び裁判官となった。

 

ラーメンと「とんかつ」が好き

西さんの好きな食べ物はラーメンと「とんかつ」だそうです。そして、ワインも好きだそうです。趣味は映画を見ることやネコと遊ぶこと、そして双子の子供達と遊ぶことだそうです。あと、ストリートフォトグラフィーも趣味だそうです。

 

3年間で6人分の無罪判決、99.8%有罪の日本の刑事裁判で

日本の刑事裁判は起訴されたら99.8%は有罪判決がでているのが現状である。この日本の刑事裁判で西さんは裁判官をしていた3年間の間に6人分の無罪判決を出したという。

 

「人間の間違い」を心理学を使って考え、冤罪について考える

西さんは冤罪について心理学的に考えている。「人間について」、「人間の間違い」について心理学的に考えて冤罪事件が起こってしまう原因について研究している。

 

西さんの夢は「冤罪事件を二度と起こさせない」ことだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墨田区議会議員の坂井ユカコさんに取材

著者:渋谷太郎

取材を受けた人:坂井ユカコさん

 

iPad、スマートウォッチ、Mac Bookを使いこなす議員

今回は墨田区議会議員の坂井ユカコさんにインタビューしてみた。坂井さんは、iPad、スマートウォッチ、Mac Bookを愛用し使いこなす議員である。坂井さんは愛媛県新居浜市生まれて美術に興味を持っていて大学で美術の勉強をするために大阪にある帝塚山学院大学文学部美学美術史学科に進学し勉強していた。坂井さんは卒業後は民間企業に就職して働いていた。その後、墨田区出身の男性に出会い結婚した。

 

議員を目指したきっかけは自身の不妊治療

坂井さんは結婚した男性との間に子供を産もうとしたが妊娠ができず、37~40歳くらいまで不妊治療をしていた、しかし、それでも妊娠することはなかった。社会のために役に立ちたいという思いから夫婦で相談して不妊治療を断念した翌年、区議会議員選挙に出馬した。しかし、初出馬の選挙はうまくはいかなかった。あと、少しで当選するところまではいったがその票は1724票に留まった。1800票で議員当選すると言われている墨田区議会議員選挙ではあと少しのところだった。33番目の順位だった、32番目になれば当選していた。

 

4年後の選挙で当選

坂井さんは諦めることはなかった、社会の役に立ちたいという思いは4年後の選挙までの期間に商店街を盛り上げる活動をしていた。2014年の墨田区議会議員選挙で初当選した。その後も2019年、2023年4月の選挙で連続当選し今に至る。現在の目標の一つにはは墨田川の周りを活用し公園なども作る構想もあるという。

 

坂井ユカコさんのSNS

- X (旧ツイッター

https://x.com/sakaiyukako?t=KR9lIgwNVdMpslTTN9E0tg&s=09

 

- Instagram

https://www.instagram.com/yukakohouse?igsh=aTB0azhzbDdoOTd4

 

- YouTube

https://youtube.com/@user-vt5qc7xe9e?si=sD4KgdRZjbsJ7ihf

 

- ホームページ

https://sakaiyukako.jp/senkyo23/index.shtml

 

 

 

 

 

元外交官の東郷和彦さんに取材

著者:渋谷太郎

取材を受けた人:東郷和彦さん

 

「外交は51%相手に渡して49%を取ることである。」と語る東郷和彦さん

"51% GIVE & 49% TAKE"

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元外交官で政治学者の東郷和彦さんにインタビューしてみた。東郷さんは「外交は51%相手に渡して49%を取ることである。」と言っている。この言葉は東郷さんの母である東郷いせさんが元外交官の東郷茂徳さん(東郷和彦さんの祖父)の言葉を伝えた言葉である。東郷さんの祖父、父は元外交官であり日本の外交に貢献した人物である。

 

祖母はドイツ人、祖父は歴史的有名な外交官の東郷茂徳さんf:id:Jipangu_Times:20240112143300j:image

第二次世界大戦中に外務大臣を務めた東郷茂徳さんの恋は凄かった。戦前の日本では外国人は今ほど多く日本に住んで居なかった、そして、外国人と日本人が結婚するということは無いに等しい世の中だった。そんな中、当時、外交官であった東郷茂徳さんはドイツ人の女性のエディ・ド・ラランドさんに恋に落ちた。当時の日本の外交官は外国人と結婚できなかったためエディ・ド・ラランドさんはドイツ国籍から日本国籍に変えて結婚し東郷エヂとなった。

 

東郷和彦さんの父も外交官、双子の兄は元ワシントン・ポスト記者

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東郷茂徳さんと東郷エヂさんの長女の東郷いせさんと当時、外交官であった本城文彦さん(東郷文彦さん)が結婚し双子の兄弟が生まれた。双子の兄の東郷茂彦さんは元ワシントン・ポストの記者である。そして、双子の弟が元外交官の東郷和彦さんである。

 

東郷和彦さんの生い立ちf:id:Jipangu_Times:20240112143323j:image

第二次世界大戦中の1945年1月10日に疎開先であった長野県の軽井沢で東郷和彦さんは生まれた。終戦そてまもなく東京に両親と一緒に東郷和彦さんは戻った。東郷和彦さんは小学校は学習院初等科に通っていた、小学生のときは外交官であった父親の赴任先であったオランダに1年間、スイスに2年間居住し現地の学校に通い言語の勉強や異文化交流をしていた。帰国後は、学習院中等科東京都立日比谷高等学校に通い受験勉強に励んた。東郷和彦さんは東京大学教養学部に入学しさまざまな授業をとって勉強していた。その中でも印象的だった授業は哲学であったという。今、現在も哲学には興味を持っているという。

 

そして、外交官に


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東郷和彦さんは東京大学卒業後は外務省に入り英国陸軍教育学校及びロンドン大学スラブ東欧学研究所でロシア語を学んだ。そして、在ソ連邦日本国大使館三等書記官になった。その後は、アメリカなどの欧米の国でも外交官としての勤務を経験し日本の国益にとって利益のあるさまざまな事を外交官としてたくさんの業績を残した。外務省を退職後も東郷和彦さんの政治や外交に関する意見は世界から注目されテレビやネットで東郷和彦さんの姿を観ることも多い。外務省退職後は京都産業大学などのさまざまな事に従事し、元外交官として活動している。